ボンのひとりごと

ここはボンボヤージュが毎日の生活の中で感じた色んな想いを語るページ。
嬉しかった事、悲しかった事、腹が立った事、生きてると色んな事があるねえ。
真面目な話題もあれば、「ちょっと奥さん聞いてよ!」な話題もある。
つまり日記。

99/10/27 「ちびギャラリー」と「へっぽこシリーズ」の違いについて

100へっぽこ達成から早84日(多分;)。

ついに180枚を超えたへっぽこイラスト♪
来月はいよいよ「200へっぽこ記念♪第2回へっぽこ人気投票」が行われる感じである。
ぬう、早い;
最初はいつも遊びに来てくれる人達のために落描きでも乗っけてみようという感じで始めたオマケコーナーであったはずなのだが、今ではすっかり「Bonboya-zyu Gallery」のメインコーナーみたくなってしまっている。(一応「Gallery1」のカラーイラストがメイン;)
なんちゅうか、アイドルのオーディションに行くのに一人じゃ寂しいので友達連れてったら友達の方が受かっちゃったわ、よよよ(T-T)といった感じである。
まあでも、今では自分にとっても大切なコーナーとなっているのでよろしい。
それはよろしいが、最近このコーナーに関して思うことがある。
それは、「『へっぽこシリーズ』と『ちびギャラリー』は紛らわしい、どのくらい紛らわしいかというと、思わずJAROに電話したくなるくらい紛らわしい」ということである。
「ていうか同じぢゃん!」と言われてしまえば、まあ同じなのだがホントは違う。
正確に言うと、「『ちびギャラリー』という毎日更新イラストコーナーの中に一つの企画として『へっぽこシリーズ』がある」のである。
「そんなこと言っても『ちびギャラリー』の中には『へっぽこシリーズ』しかないではないの」
と思う人もいるかもしれないので説明すると、昔はちゃんとあったのである。
別のシリーズが(^^;
これを知ってる人はマニア、ぢゃなかった;かなりの常連さんだけだと思う。
まあそういうわけで以前はそういう風にいくつかシリーズがあった「ちびギャラリー」なのだが、今ではすっかり「へっぽこ」一色になってしまっているわけである。
ほんとはそれまでのシリーズ同様、期間限定でいくつか描いたら止めようと思ってたのだが、これが思いの他好評だったので続けてたら100枚達成してしまい、あれよあれよという間に今度は200枚達成しそうであるという感じなのである。
なので、もしかしたら3日後にはいきなり「へっぽこシリーズ」は終了して新しく「へなちょこシリーズ」になってる可能性もあるわけである。
が、多分そんなことはないだろう。
いつまで続くか分からないけど、応援してくれる人や共感してくれる人がいる限り、ずっと続けていきたいものである。
よってやっぱり「ちびギャラ」と「へっぽこシリーズ」は紛らわしいまんまなの、という結論にいたるわけである。
99/09/16 「できるようになることが楽しいのね」の巻

絵を描いてるとよく思うのが、「もっと上手く描けないかしら」っちゅうことである。
「○○さんのように描けたら楽しいだろな〜」とか「いいな〜こんなのが描けて」とかボンはしょっちゅう思う。
でも、ある時ちょっと考えてみた。
それってホントに楽しいのだろうか?と。
絵を描き始めて1年ちょっと経ち、作品も随分増えてきた。
自分で言うのも間抜けだが、それなりに上手くなったと思う(それなりにね;)。
そしてそれはある時急に、ではなく1作品描くごとに少しずつ少しずつ上達してきたんだなとも思う。
不思議なもので、「昨日何食べたか皆目見当もつきません、隊長!」というくらい記憶力に乏しいボンなのだが、一生懸命描いた作品は1年前のものでも、見るとその時の気持ちや、どこをどう描いてとか、ここは苦労した、とか思い出すのである。
「この時は猫の耳が上手く描けなくて何度も描き直したなあ」とか、「ここが上手く描けた時はとても気持ち良かった」とか一枚描く毎に少しずつ描き方が変わっていった自分の成長みたいなのが見えるのである。
そして、少しずつ変わっていく過程の一つひとつがとても楽しかったなあとボンは思う。
だからホントはボンはその描き続けていく過程で感じる楽しさを味わいたくて、また次の絵を描くのかもしれない。
自分の中にイメージした描きたい完璧な作品は確かにあるけど、多分それ自体が欲しいわけじゃないんだと思う。
ある朝起きたら、「ぬぬぬ、なんか知らんけど上手く描けるようになったぞよ」っていうのは多分楽しくないと思うのである。
「できること」の前には「できるようになる過程」があって、ホントに楽しいのはその過程じゃないだろうか。
そしてそれは絵以外のことにも言えるんじゃなかろうか。
誰だっておんなじじゃないから生まれつきの才能がある人もいればない人もいる。
「ボクチン、パパがオリンピックの鉄棒選手でなんか知らんけど逆上がりなんて生まれた時からグルングルンできてました、へへへ」という子がいれば、「ボクのお父さんはオスモウとりだったので見てのとおり逆上がりなんてとてもできません、よよよ」という子もいる。
逆上がりができない子はできるようになろうと一生懸命頑張る。
そして、逆上がりなんて簡単にできる子は何にもしないかというと多分、さらに高度な技ができるように頑張るんじゃないだろうか。
できない子はできるように頑張るし、できる子はさらに上を目指して頑張る。
できない子が逆上がりができるようになった時の感動と、できる子が足掛け前回りができるようになった時の感動と、どっちが嬉しいかなんて比べられない。
リンゴが2つあったのが3つになっても、4つあったのが5つになっても増えたリンゴはどっちも1つじゃない?
ものすごく分かりづらい喩だけど;
物事その物に絶対的な価値はないし感動もない。
大金持ちのおやぢが晩酌で飲むドンペリと、砂漠で何日もさまよい歩いた若者が飲む泥水と、どっちが美味しいかなんて聞くまでもないでしょ?
だからね、楽しいのは「できること」じゃなくてね、「できるようになること」だと思う。
今いるところから一歩ずつ自分の足で歩いて進んでいくその過程がホントは楽しいんじゃないかなあ。
なんだかみんな、結果ばかりを求めてない?
そうなったら楽しいだろうと、思い込んではいない?
競争主義だの学歴、偏差値を盲信する親は言う。
「お隣の誰だれちゃんには負けちゃ駄目よ、塾でもお金でも何でもしてあげるから」
でも子どもは多分思ってる。
「誰だれちゃんに負けないことが楽しいんじゃなくて、分からなかったことが分かるようになるのが楽しいんだよ」
平等主義を唱える教師は言う。
「かけっこをしましょう。足の速い子はここから、遅い子はもっと前からスタートしていいですよ。これなら遅い子も一等になれるかもしれないでしょ?」
でも生徒は多分思ってる。
「みんな一等になりたいんじゃなくてね、速く走れるようになるのが楽しいんだよ」
目的地はあってもそこはきっとゴールではないと思うし、ホントに楽しいのはできるようになるまでのその過程だと思う。
できることそのものを求めないで、少しずつできるようになっていく自分を楽しもう♪
そしたらいつかきっとすごいことができるようになっちゃったりなんかするかもしれないし♪
そんなことを思いつつ、ボンはまた少し上手くなれるよう絵を描いていこうと思うのでありました。
99/07/24 ボンは自慢じゃないが色使いがへたっぴである。
ネットで作品を発表してるイラストレーターやデザイナーの方たちの作品も観てると、「うぬう、なんでこんなかっこよろしい色使いができるのかしら?」と思うこと数知れず。
特に原色に近いようなビビットな配色でビタァ!と決まってるイラストを観ると、んもう「一生ついていきます」的尊敬の念がふつふつと沸いてくる。
どうもそういう、いわゆる「センス」っちゅうものが自分には欠落しておるのではなかろうかと最近思ったりもしていたが、ある日ふと昔母親が言ってた話を思い出した。

「あんたがまだ幼稚園に行ってた頃ねえ、参観日の時みんなでブタの絵を描いたの。
そりゃあみんなかわいい肌色のブタを描いてたわ。
でもね、あんたは一人だけ
真っ青のブタを描いたのよぉぉぉ!!!

なるほど、謎は全て解けた。
ありがとう、母上。
99/07/10 ん〜久しぶりに書くとやけに筆がすすむぞよ♪
というわけで真面目に語った後で恐縮だが、久々の「壊れちゃったのよ;よよよシリーズ」である。
コタツ、ビデオデッキと次々と家電を壊し続けるボンであるが最近困っているのがフライパンである。
これも長いこと使ってるからしょうがないといえばしょうがないのだが、なんちゅうか取っ手がゆるゆる君になってしまっているのである。
最初は、「私ちょっとグラグラよ」程度だったが、最近では「見て見て♪こんなに動けるようになったのよ、パパ♪」と言わんばかりにグラングランするのである。
「首振りフライパン」とでも言おうか、なんか名前だけ聞くと、手首を返さなくても卵焼きとか上手くひっくり返したり、チャーハンとかジャカジャカ炒めたりできそうなハイテク台所用品ちっくだが、なんといっても上下ではなく、左右にグリングリン回るのがこの製品の最大の特徴である。
んもう、左右どちらかに重心が傾けば30度近くグリンと回るので、卵を焼けば右に落とし、チャーハン炒めりゃ左にぶちまけるといった状態で、はっきり言って手がつけられん暴れん坊になってしまっている。
こないだうっかり首振り機能がついているのを忘れて湯なんか沸かしてしまい、持ち上げたとたんに全部足にかけ、「わちゃちゃちゃちゃ〜!!!」というコントちっくな事故にもあってしまった。
なんとかならんかしら、なうちのフライパンなのである。
99/07/10 おかげさまで「ちびギャラ」がえらく好評である。
ていうか「へっぽこシリーズ」になってから評判がよろしい。
もうなんちゅうか「ちびギャラ」=「へっぽこシリーズ」になってしまった気もする;
そろそろ100近い数になっちょる気もする(ちゃんと数えろ)。
みんなどうもありがとう♪
プリントアウトして職場に飾ってくれてる人や卓上カレンダーにしてくれてる人がホント多くてビックリするやら恐縮でござるやら、なんとも嬉しい。
「ちびギャラ」だけでなく、メインギャラリーの絵も、壁紙にしてもらったりして感謝感激である。
友達に贈るプレゼントに添えてくれるカードとして使ってくれる人もいれば、子どもに贈るために作った童謡のCDのジャケットに使ったというお母さんもいた。
もちろん、これらは個人使用という形なので金にはならんし、名前も売れない。
ボンはイラストレーター志望なので、売れる絵は描きたいし、名前も売りたいと思っている。

でもでも思うのである。
お金で買えないものってこういうのかなあ、と。
ボンの絵を観て、笑ってくれたり、元気になってくれたり。
「泣きました」って言ってくれる人もいる。
色んな人達が自分の絵を観て、なにかしら感情を動かしてくれる。
自分が絵を描く理由はココにあるのかなあと思う。
仕事で絵を描いたり、賞をもらったりしたい、それが目的だと思ったりした時もあったけど、それは手段なんだなって今は思う。
絵を描くホントの理由はきっと、沢山の人達の気持ちを揺らしたいから。
切なさ、やさしさ、悲しさ、嬉しさ、絵を通じて色んな想いを伝えたい。
金なんかじゃ買えないもの、目に見えない気持ちを感じたい。

青臭いという人もいるけれど、青臭いやつじゃないと見えないものがあるんだよ♪
ここで出会ったたくさんの人達に教えてもらいました。
ありがとう。
99/07/10 ちょっと不思議に思うことがある。
なんでうちに来てくれる人達はみんないい人なのだろう?
なんか考えてみると不思議である。
今年度の厚生省の調査によれば、ちまたに溢れる人間の7割は悪い人であるという統計結果が出ているやらいないやら・・・いないか;
とにかくお世辞でもなんでもなく、ほんとメールくれる人も掲示板に書き込みしてくれる人も、すごく優しくてたまらんのである。
別に「ボンボヤージュ嫌い、チョベリバ」とかいうメールが欲しいわけでもなく、掲示板に「ウンコチンチンボンボヤージュかとちゃんぺ」とかカキコして欲しいとか思ってるわけではない。
いや、ほんとに;
不思議だけどいいなあ♪と思ってるのである。
ずっと大事にしていきたい友達ばっかりである。
いつまでも仲良くしておくれ〜いなくなったりしないでね〜(・▽・/
と、しょっちゅうトラブルでいなくなる本人ボンは思うのであった;
99/05/23 感謝の気持ちを伝えたい
ほんとたくさんの人達が応援してくれる
なんて言ったらいいか分かんないけど、とっても嬉しいんだ

ボンは交通整理のバイトをやってた時期があってその頃はほんと人間が嫌いだった
毎日、運転手から怒鳴られ、空缶投げつけられ、顔に唾を吐きかけられたこともあった
人間ってくだらない生き物だとその時は本気で思ってた
動物をモチーフにした絵を描き始めたのはかわいいと思ったからじゃない
人間が描けなかったから
まっすぐで純粋で、夢を持って歩き続ける綺麗な気持ちを持った人間が

でも今は違うんだ
たくさんのやさしい言葉をくれる人達と
夢を持って、くやしいくらいに素敵な絵を描く友達ができた

これからも動物をモチーフに描いてくつもりだけど
彼らはきっと人間だ
あきれるくらい単純で、駆け引きも近道もできないけれど
やりたいことをまっすぐ見つめる人間

上手く言えないけどありがとう
これからもよろしくなりよ(^▽^/
99/04/29 「ちびギャラリー」で毎日更新イラストを始めて1ヶ月がたった。
「なんかみんなやってるし、楽しそうでごわす。ぼくちんもまぜておくれ」的お気楽極楽気分で始めたコーナーではあったが、実際やってみるとこれがあまりお気楽極楽ではないことが判明した。
毎日一枚必ず描くっちゅうのは想像以上にしんどいのである。
ぶっちゃけた話、「んだあ!きょ〜は描きたくねんだよう!どっちかっちゅうと、きょ〜はご飯ぢゃなくてパンが食いたい気分なんだよう」な日もあるのである。
まあしかし、そうはいっても1ヶ月続けてみて(1日休んだが;)、思うのは「う〜ん、続けてみると案外いいもんだ」ということである。
今ちょうど30作品たまっている。
はっきり言ってヒドイのもいくつかあるが(笑)、とにかくあっという間にたまった。
このまま続けるとどえらい数になるであろう。
なんだか楽しみだし、なにより毎日必ず描いてるというのはすごく自分の中での自信につながっていると思う。
やっぱり、描きたくなくても描かねばいかん時はあるだろうし、自分はプロの世界でやってこうとしとるわけだから。
「頑張って頑張って、もうだめだと思ったとこからどれだけ頑張れるかがプロになれる奴となれない奴の違いなんだよ(byつんく)」
というわけでまだまだ続くこの毎日更新イラスト。
みなさん、どうぞ観てやってくださいませ♪

おまけ♪
30作品あるとやっぱり自分的に、気に入ってるイラストもあれば、なんじゃこりゃあ!なイラストもある、というわけで初期の作品をいくつかとりあげてコメントしてみましょう、そうしましょう。

◆お気に入り
@99.03.29「さかな」
記念すべき1枚目のイラストです。
「ノートの1ページ目だけは、やけに綺麗な字でフルカラーなのに2ページ目からはミミズが這った後のようになってる、しかもモノクロだし」的小学生の典型的持続力のなさをいまだ継承し続けている
ボンとしてはなるべく力を抜いて描いてみようではないの、という気持ちで描いた第1作目。
ここで気合入れまくってウロコ一枚一枚描いてたらきっとこの企画は続いてなかったでしょう。

A99.04.02「マヨネーズ」
冷蔵庫の隅で「私を描いて、ねえねえ」という感じだったので描いてみました。
へこみ具合がなんか好き♪

B
99.04.06「くじゃく」
どこが「くじゃく」なんだよ、コノヤロ!といわれてしまいそうですが「くじゃく」です。
描いた本人が言ってるんだから間違いないです。

◆なんぢゃこりゃ
@99.04.13「バームクーヘン」
これは、「んもう、時間よ戻れ、コンチクショウ」的にヒドイ作品です(笑)。
めちゃめちゃ恥ずかしいです。
穴があったら埋めてしまいたい、と見る度に思います;

また作品が増えたらコメントしてみようかな♪
99/04/24 散髪に行って来た。
ほんとは行きたくなかったのだがさすがに4ヶ月近く行ってなかったので「むう、何時の間にやらムッシュカマヤツカットになっちょる;今にも下駄を鳴らして奴が来そうな雰囲気ではないか;こりはいけませんよ奥さん」というわけでしかたなく近所の床屋へ行って来たのである。
そしていつもは「普通にしてくらさい」と頼むボンであったが過去の体験からこの「普通」ちゅうのは曲者であるということを今回は学習していた。
過去幾度となく「普通にして」と言ってしまったがために「普通のおぢさん」「普通の七三サラリーマン」「普通のチンピラ」にされてしまった経験を持つボンは今回こそは「普通の若者」にしてもらおうと心に誓っていたのである。
がしかし、なんと言ったらいいやらわからん;むう、こりはえらいことです的胸中を語るすべも持たず「あうあう、えっとですねえ、そのあの・・・」とうろたえる有り様。
すると床屋の兄ちゃんは一言のたまった。
「随分伸びてますねえ。シャギー入れます?」
シャギー!
「なんちゅうかっこよろしい響きではないか!言葉の意味は分からんがとにかくすごい自信だ」とキン肉マン的感動と同時に「そりはひょっとして、一冊の百貨店のことではあるまいか」的疑惑の気持ちを抱えつつボンは悩んだ。
どうする;よく分からんからここは止めとくべきか、いや待て、ここでシャギーを入れておけば道で知り合いに会った時、
「やあ、ボンさん散髪されたんですか」
「いやいや分かります?まいったなあ、いやなにシャギーなんですよ、うわっはっは」
「なんと!シャギーですか。これはこれはハイカラな」
的挨拶が可能になるではないか。
うむ、なんかカッコよろしい。

「シ、シャギーお願いします!」

そして一時間後、「ボンボヤージュ(シャギー入り)」が完成した。
・・・教訓:床屋でシャギーは入れてはいけない。
セクハラが話題になるようになって随分たつ。
はっきりいって馬鹿馬鹿しい。
な〜んて暴言を吐くと「なによあんたキィ〜!」とか言われそうなので補足しとくと、セクハラ自体はとても大きな問題だとは思っている。

ある大学院生の女性は教授から「私と付き合えば助手にしてやる。」と言われ、それを断ったために夢を断たれた。
ある女性は会社で上司に押し倒され、「大人の付き合いをすれば社内で優位に働ける。」と言われ、他に雇用してくれる所もなかった彼女は泣き寝入りするしかなかった。
彼女達は完全にセクハラの被害者であり、こうした行動をした男達には「バ〜カ!お前らみっともねえ生き方してんじゃねえよ」と思う、ほんとに。
しかし、今セクハラと呼ばれるものはどんなものなのか。
「3サイズを聞く」「肩をもむ」「彼氏いるの?と聞く」・・・
こうした発言はセクハラ〜!なのである。
しかし、言った男がいい男、ぢゃなかった嫌いな相手でなければセ〜フ!新庄さんはセ〜フ!なのである(誰だ新庄って;)。
・・・なんぢゃそりゃ
そんなもんセクハラに入れていいのか?
「う〜んなんか私貴方の発言で不愉快な感じだわ、セクハラに処す!よ♪」的な曖昧な基準でくくっていいような軽い問題ではないと思うのだが。

自分の理想に妥協せず生きてる人達はたくさんの辛いこと悔しいことを経験し、それでも歯をくいしばって歩き続ける。
だれだって楽しいことばかりじゃないはずだ。
相手の弱点を攻撃する人間はみっともないが、自分の弱点を利用して相手より優位に立とうとする人間も同じくらいみっともなく見える。
男も女も関係なく、自分の誇れるもの、頑張って頑張ってつくりあげた自分自身の力で戦ってる人間は綺麗だ。
戦うべき場所は一つでいい。
誇れるものは一つあればいいと思う。
他の全てを失ってもたった一つ守り続けたいもの、それがプライドというものだと思う。
なんでもかんでも気に入らなけりゃプライドだの尊厳だのとカッコつけてないで、笑われたって蔑まれたっていいんじゃない?
たった一つ、譲れない夢を持って歩こう。
「男」だの「女」だの言わせないくらいの「自分」をつくろうよ。
99/03/22 うちの家族は機械に弱い。
実家の岡山に母親と妹2人の3人で暮らしてるのだが数年前、実家のワープロを貸してもらってたボンはその機種にハンディスキャナがついてるのに気づき、
「むう、これは面白そうだ、が、送ってもらったワープロ一式にはついてないぞ、これはいかん。早速送ってもらおう」 と実家に電話したところ、一番下の妹が電話に出た。
この時点でとても嫌な予感がしたのだが、奴ももう高校生である。 伝言くらいは頼めるだろうと思い、
「ワープロについてたスキャナを送ってくれと君のお姉さんに伝えてくれたまえ」
と言ったところ、
「ああ、スキャナね。OKOK」
と、さもスキャナを知ってるかのような口ぶりで答えた。
「おお、スキャナが分かるとはうちの妹も随分成長したものだ」とボンはひどく感動したのだが、それは大きな間違いだった。
数日後、実家から届いたのは一通の封筒であった。
「むう、いくらハンディスキャナと言ったってこんなぺらぺらなわけないし、見つからなかったかな」と思いつつ封を開けてみると中から一枚のフロッピーディスクと手紙が出てきた。
そして手紙には一言、こう書かれていた。
「頼まれたスキャナ送ります ○○子より」

これが、電話に出た下の妹の、完全に勘違いではあるが自らの成長ぶりを兄に伝えようとして独断でおこなったことなのか、または家族会議で「きっとこのペラペラしたのがスキャナだとお母さんは思うんだけど、貴方達はどう?」「賛成!賛成!それがスキャナに違いないわ、お母さん」という具合に満場一致で決まったことなのかは今も謎であるし、後者だと恐いのでこれからも謎のままにしておくつもりだが、とにかくうちの家族は機械に弱いのは間違いないのである。
99/03/18 殺人犯にでも母親を殺された少女にでも同様にフラッシュを浴びせかけるカメラマン
悲しみのどん底にいる人間に、「今のお気持ちを聞かせて下さい」とマイクを突き付けるレポーター
それを見ながら、「かわいそうな事件」「残酷な犯人」と連呼するアナウンサー
貴方たちは何なの?
人間ってそんなこともできるのか・・・
「可哀相」と話す貴方達の顔は笑ってるようにみえる
「仕事だから」「世間の人々は知りたがってるから」
泣いてる子に冷たいフラッシュを浴びせ、汚いマイクを突きつけないと手に入らない真実なんて、ほんとにみんな欲しがってるの?
他人の不幸を物差しにしないと自分の幸せが感じられないってとっても悲しい
可哀相なのはきっと貴方達、そしてそれを見ている僕たちなんだ。
99/03/13  昔やってた新聞配達のバイトのことをふと思い出した。
 ボンが始めてやったバイトである。
 大学入るまでアルバイトなぞやったことのなかったボンは、時給1500円という他の追随を許さぬその豪奢な広告に惹かれ、「おおお!これはスゴイ、稼ぎまくりじゃないか」と、大いなる勘違いをしたまま新聞配達を始めてしまった。

 どのへんが勘違いだったかというと、まず一日一時間しか働けないということである。よく考えたら当たり前で、新聞を毎日5時間も6時間もかけてじっくり配ってます、えへ、なんていうのは全然使えないわけで、そしてちゅうことは当然一日1500円しか稼げないのである。この当たり前の事実に気づいた時にはもう採用されてしまっていたので、こりゃあえらいことになったでごわす、と頭を抱えつつも「初バイト初日で断念、軟弱な学生急増」という見出しが頭に浮かび、「いかんいかん、とにかくやってみようではないの。一日一時間なんて簡単だし」とこれまた大いなる勘違いをしたまま始めたのである。
 仕事は自分の担当区域の台帳を見ながら、○○さんとこは朝日、◇◇さんとこは読売、といった具合にくばっていくのだがもうこれが大変なのである。
 それぞれの家の近くまで自転車で行き、その付近で走って配れる家を数え、朝日4部、毎日6部といった具合にまとめて抱え、一軒一軒投函してまわるのだが、これがどういうわけか朝日5部毎日5部を抱えたつもりが朝日4部毎日6部なんてことになっているのである。当然最後の家に着いた時には朝日新聞を投函しなくちゃいかんのに手に持ってるのは毎日新聞、ということになる。
「僕、おじいちゃんにタバコのお使いを頼まれたんだけどエコーじゃなくてマルボロ買って来ちゃったどうしよう」状態である。
 玄関の前でしばらく呆然とした後、最初はしかたなくまた自転車まで取り替えに戻っていたがその後、何度も間違える
うちに
「銘柄ぐらいでうちのおじいちゃんは怒ったりしないよね」的解釈をするようになり、朝日新聞をとってる家に産経新聞を投函してしまうという暴挙も幾度となくやった。
 特にアパートやマンションなど最上階までのぼって、持ってる新聞が違ってたらもう発狂ものである。「つべこべいわずに読め、コノヤロ」と思いっきり八つ当たりしながら、朝日新聞をとってる家に「これでもくらえ」と毎日新聞をつっこんで
は家に帰っていたものである。
むう、懐かしい。
99/03/08  ビデオデッキが調子悪い、ていうかとてもご機嫌ななめ状態である。
 テープを入れると「んだあ、こんなもん食えるかぁ(怒)!」とばかり吐き出してしまう。
それでも、無理矢理ねじこむと、ワシャワシャワシャと音がして中からグシャグシャになったテープが出てくる。
 よく噛んで出しました、という感じである。それでもなんとかだましだまし使っていたがついにおととい、テープを切断して吐き出すという技を覚えた。
 「あああぁ!こないだダビングした、『キンキンの湯けむり美人弓道家殺人事件赤い矢の謎めいたメッセージ』のテープがぁ(泣)」とわななくボンをしり目に次々とあこぎな技を習得していくうちのビデオデッキなのであった。
 もう6年近く使ってるからなあ・・・
99/03/02 こないだ青山通りを歩いていたら道端で似顔絵を描いてる女の人がいた。
パステルで描かれた葉書サイズの小さな作品たちを観てると
とても嬉しくなった。
ここにも頑張ってる人がいる。
すぐ傍には「お姉さんかわいいね」を連発する黒人と
ブランドに身を固めた男女の群
生きるって何だろうって思った。
どっちが正しいかなんて分からないけど
どっちの生き方を選ぶかって聞かれたら・・・
振り返ると母親に連れられた小さな男の子が彼女に似顔絵を描いてもらっていた。
男の子と話ながら楽しそうに絵を描いてる彼女の笑顔はとっても眩しくて
その手に握られたちびた小さなパステルのカケラは
どんな高価な宝石よりも輝いて見えた。
ボンはこっちがいい。
99/02/26 ボンは人に葉書を出すのが好きである。
年賀状から暑中見舞いまで一生懸命つくって出す。
が、頑張ったわりに送った人達からの反響はイマイチである。
小学生の時は年賀状を三角に切って「イッタンモメン」をつくって送り
結果、「追加料金とられたぢゃねえか」と、多くの友人から責められた。
去年の暑中見舞いには、なにをとちくるったか
ローマ字でメッセージを書いた、とんでもなく恥ずかしい葉書を作成。
人数分作り終えてその酷さに気づき、上から白のアクリルを塗りたくり、
別の紙にプリントアウトしたイラストを貼って投函。
その後ぞくぞくと「剥がした」「ローマ字が書いてあった(透けてたらしい)」
という声が届く。
「あうあうバレてるバレてる」とうろたえた末、
送ったリストの中から一番気づきそうにない友人を選択。
こいつが気づいてたらみんなにバレてるとみて間違いなしと思い、早速電話する。
「あ、あのさあ、こないだ葉書送ったでしょ?あれさあ・・・」
「ああ、あの剥がすやつね」

こうしてことごとく失敗しつづけている葉書づくりだが、
一生懸命つくったものを人に贈るのはやっぱり楽しい。
今度こそカッチョイイやつをつくろうと心に誓うボンであった。
99/02/22 いろんな人達の絵を観てて思った。
みんな全然違う絵だなあと・・・
これって結構すごいと思う。
Gショックよりレアなんじゃなかろうか。
しかもその人にしかつくれない。
世界中でたった一つしかない作品をみんなつくってるんだ
と思ったらなんだかいい気分になった。
とってもレアな宝物
どんどん増やしていきたいな。
99/02/16 コタツが壊れた・・・
ボンはコタツでいつも寝ているのでとても困る。
ていうか凍死しそうである。
ストーブがあるのでなんとかなるかと思っていたが、やっぱりコタツに入りたい。
ストーブをつけていると部屋の中は暖かい。が、逆にコタツの中は寒い。
コタツ布団が中の冷たい空気を閉じ込めて逃がさないからである。
なにか間違ってる気がする。
コタツはつけっぱなしで寝られるがストーブは危険である。
昨日まで京都から友人が遊びに来ていた。
彼に布団を貸したため、ボンはコタツで寝なければならなかった。
しかもストーブつけてないと凍死確実な寒い日だった。
わざわざ京都から来てくれた友人を酸欠で他界させるのは気が咎めたので、結局、徹夜でストーブの番をしていた。
長い夜だった・・・
99/02/09 最近、散歩するのが楽しい。
絵を描き始めてから回りの景色や人とかをよく見るようになった。
なんだか見慣れたはずの景色が見違えた。
天気のいい日はとてもいい気分になる。
作品のアイディアも家に閉じこもってる時より沢山浮かんでくる。
そして次々と浮かんでくるアイディアを次々と忘れていきながら、
すっかり忘れきった頃、
ボンはうちに着くのである。
ずいぶん前からYahooに登録申請してるのにちっとも登録してくれない。
なぜなのなぜなのと考えていて突然気付いた!
「あう、Link集の紹介欄に、”説明いらずのコンチクショウ”と書いてた気がする。

そうかあれがマズかったか・・・」
ということでさっそく「説明いらずのコニャニャチワ」に訂正してみた。
これで大丈夫かしら?

な〜んてことを書いてからYahooに行ってみたらちゃんと登録してくれてた。
あう、ありがとうございましゅ。
久し振りに大学時代の友人から電話があった。
彼女はシュタイナー幼稚園で働いていて、
とても綺麗な気持ちを持ってる大切な友人である。
偶然、お互い絵本にハマっていることがわかり、
お気に入りの絵本の話で盛り上がった。
彼女はオススメの絵本の文章をやさしくささやくような声で話はじめた。
さすが幼稚園の先生は上手い読み方をするもんだ、
消え入りそうなささやく声が魅力的、と思っていたら
彼女はそのまま寝てしまった。
どうもお疲れだったらしい・・・電話ありがとう