| ボンのひとりごと ここはボンボヤージュが毎日の生活の中で感じた色んな想いを語るページ。 嬉しかった事、悲しかった事、腹が立った事、生きてると色んな事があるねえ。 真面目な話題もあれば、「ちょっと奥さん聞いてよ!」な話題もある。 不定期野良猫エッセイ。 |
| 2000/03/30 「ニヨコ疑惑」 |
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| 世の中には分からないことがたくさんある。 多分、分かんないことの方がずっと多いんだろう。 人生の意味や自分が生きてる意味もよく分かんないし、なんで人を好きになるのかも分からない。 それはいくら考えても分からないものなのかもしれないし、答えなんて最初から無いような気もする。 それでも人は考える。 今まで生きてきた中で得た知識や経験を使って。 大事なのは考えるという行為そのものなのかもしれない。 ボンは、もう何年も前からずっと解けない疑問がある。 これは今まであんまり人に話したことはないし、自分で解かなきゃいけない問題のような気がしてずっと心の奥にしまっていたのだけれど、今回思い切って書いてみようと思う。 その疑問とはこれである。 「ヒヨコはどうやってニワトリになってるのか?」 カエルは分かる。 オタマジャクシに足がニョキニョキ生えてきて尻尾が縮んでカエルになるのである。 それは納得しよう。見たことあるし。 しかしニワトリはどうなのだ? 友人に聞くと当たり前のように、 「ヒヨコにトサカが生えて羽が白く生え変わってニワトリになるのだ」と言われる。 最後に「お前はバカか」と付け加えられることも多い。 しかし、ちょっと待て;大きさが違うだろ! なんであんなにちっこくてピヨピヨしたものが、いきなりでっかくてコケコッコーなものになるのだ??? ぬぅ、まったくもって不思議だ。 どのくらい不思議かというと、幼い頃は「ミキはねぇ、大きくなったらイチゴさんになりたいの、えへへ♪」と言ってたミキちゃんが40年後にはスーパーの桃をブシブシ指で押しながら「や〜ね〜鮮度が悪いわコレ」と言って棚に平気で戻しちゃうおばちゃんになっちゃうのと同じくらい不思議である。 何があったんだ、一体;と思ってしまうのはボンだけだろうか。 だんだん変わっていくのだと言われればそうなんだろうとは思う(ミキちゃんじゃなくてニワトリ)。 しかし、そのだんだん変わっていく途中の姿をボンは見たことがない。 TVを見ても図鑑を見ても、そこにあるのは白くてでっかいニワトリと黄色くてちっこいヒヨコばかりである。 大きくなるのが先なのか、ニワトリの形になるのが先なのか知らんが、少なくともニワトリサイズのでっかいヒヨコもヒヨコサイズのちっこいニワトリも見たことがない! おかしいぢゃないかぁ〜!!! しかし、みんな別に不思議に思ってる様子がない。 ずっと考えてるうちに「ひょっとしてこれってタブーなのか?」と思えてきたりもする。 ヒヨコがニワトリになる過程っちゅうのは触れてはいけないとってもデリケートな問題なのか。 もしタブーだとすると2通りのことが考えられる。 一つは、カツラの人に「あんたカツラだろ」と言ってはいけないのと同じように、みんな分かってるんだけど触れないようにしてるものであるということ。 しかしそれだとなんでボンは知らないのかということになるので多分違う。 もう一つは、実はヒヨコとニワトリは、まったく別の生物で、なんらかの事情があって国家レベルで隠さねばならんような極秘事項であるということ。 これならボンが知らないのも頷ける。 しかしそれだと、そりゃ一体どんな事情なのだ;とツッコミたくなる上にそんなこと考えてるとTVで 「うちのニワトリはヒヨコの頃から有機飼料で育てておるので健康で美味しいずらよ、ひゃひゃひゃ」と笑ってる、人の良さそうな農家のおじさんを見ても、なんか目が笑ってないような気がしてきて恐くなる。 ぬぅ、謎は深まるばかりである。 やはり一番妥当なのはヒヨコとニワトリの中間くらいの大きさでちっこいトサカが生えた黄色と白の羽が混ざったような時期があるという案だろう、ていうか多分これが正解なんだろうけど、そんなヘンテコな奴は見たことないのである。 便宜上、ボンはニヨコと呼んでいるが、そんなの見たことないぞ!!コノヤロ! 見たことないと信じられんっちゅうのもなんだか想像力の無い人間みたいで嫌な感じだが、この「ニヨコ問題」に関してのみ、ボンは見ないと信じられん!!想像力なくて結構けっこうコケコッコーである。 よってまだまだ妄想は続く。ここまで何人ついてこれてるか非常に不安だが; で、ニヨコである。 もしニヨコが本当に存在するならば、なぜ、そいつは人目に触れないのだろうか? まず考えられるのが、やっぱりヒヨコとニワトリは別の生物でそれは国家機密なんだろ!やっぱりかコンチクショウ!という案。 これだとニヨコは存在してないわけなので人目に触れないのも当然である。 TVなどでヒヨコとニワトリが飼われてる映像がよく流れるが、あれはきっと農家のおじさんが夜な夜な交換してるのである。ヒヨコとニワトリを。 黒いスーツにサングラスかけて(国家機密だから)。 ぬぅ、なんだかこの「国家機密案」だと何一つ矛盾が発生しないぞ。 ひょっとして当たりか? しかし、この案にこだわるとどこまでいっても最後は国家機密なので分かりません、よよよという結論しか導き出せないので他も考えてみる。 次に考えられるのが、ニヨコは存在するがその期間が短いので人目に触れる機会が少ないのだという案。 「普通こっちだろ、最初に思いつくのは!」と言われそうだがボンはいまいちこの案には賛成しかねるのである。 短いっていってもあんな巨大化するのに一日二日ぢゃ無理だと思うし、それに1回も見たことないのはオカシイ! ・・・隠れてるんだろうか。 ひょっとしてサナギか?チョウチョみたくサナギの中でニヨコになってるのか? しかしニワトリのサナギなんてこれまた見たことないぞ。 トリの丸焼きは実はサナギを焼いたものなのだと言われると今なら信じてしまいそうだが、そうするとよく言われる「お店の味は家庭ではなかなか出せないのよねん」っちゅうのも、料理人はサナギを焼いててお母さんはニワトリ焼いてんだから同じぢゃないのもうなずける、うむうむ、ナルホド、さては北京ダックも皮ぢゃないな!!とニワトリの話をしてるのにアヒルまで巻き込んでしまい、ますます訳が分からなくなるので「サナギ案」は却下である。 じゃあ一体どこに隠れているのか。 飼育されてるとこを見ても隠れられそうなとこはない。 檻の中にニワトリとヒヨコとタマゴがあるだけである。 タマゴ・・・もうこれしか可能性は無さそうである。 ニワコはタマゴの中でニワトリになるのである。 1回産まれたフリして実は戻ってるんぢゃなかろうか。 で、中でニヨコの時期を過ごすのである。 これなら誰にも見られない。 カリメロがタマゴの殻をかぶってたのは後で必要になるからだったのである。 いや待て;カリメロはニワトリの子ぢゃなかった気がする; また他の鳥を巻き込んでしまった。 あ〜やっぱりわからないぃぃ〜!!!! と、こんな感じで考え出すとどんどこおかしな方向に話がいってしまう「ニヨコ疑惑」。 これは書き出すと止まらないので危険である; ちなみに鋭い方はピンときたかもしれないが(いや;こないと思う)、レイコ先生はニヨコの一つの可能性を模索した結果生まれたキャラである。 「ひょっとしてヒヨコってちゃんとニワトリになるまで着ぐるみ着てるんぢゃなかろうか;」みたいな; ぬぅ、やっぱり不思議だ。 |
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| 2000/03/30 「へっぽこ人気投票 密かな楽しみ」 |
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| ちびギャラリー「へっぽこシリーズ」が300枚達成し、人気投票も第3回目となった。 ぬぅ、早い; 毎回たくさんの人たちに投票してもらって、と〜ても感謝のボンである。 「集計が大変でしょ?」とよく言われるが、それよりなにより自分の作品に投票してもらえるっちゅうのはとっても嬉しいもんである。 今まで知らなかった人から感想とかもらえるのも新鮮だし、常連さんからいただく感想、ツッコミ(笑)も楽しい。 投票されるイラストも人それぞれで、集計していても飽きない。 掲示板でまったく反響がなくて(笑)「これは失敗かしら、よよよ」と思っていたイラストが上位に入ったりした時はなんだか嬉しいし、逆に掲示板で好評だったのに投票結果を見てみると1票も入ってなかったりした時は「ぬぅ、勝負はゲタをはくまで分からんものだ」と、なんでゲタをはいたら勝敗が分かるのか分からんけど思っちゃったりするのである。 また、これは楽しいと思ってる場合ぢゃない気もするが、「描いた覚えのない動物名で誉められる」ことが毎回必ずある(笑) 描いた本人としては「ヤギ」を描いたつもりなのに感想をみると「あの牛サイコ〜!」とか、「赤ちゃん」描いたのに「あのライオンは泣けました」とか書かれていたりする。 これが一人や二人なら「やだなぁ違いますよぉ♪へへへ」と笑ってごまかせるが大抵一人や二人ではない; どのくらい多いかと言うと「多数決の結果、牛に決定です!」というくらい多い。 「これって絵描きとしてはかなりマズいのではないかしら;」と思う一方で「ふふふ、このネタは結果発表で使えるぞよよ♪」と思ってしまう自分もいたりして、ちょっと複雑である。 しかし、はじめの方は「牛ぢゃないぃぃ〜;」と、ちょっとヘコみながら集計してるのだが集計が終わる頃には「いやぁ、結構上位に来たなぁ、この牛♪」とか思ってるから人間って不思議である。 そんなこんなで結構大変だと思われてる集計だが、やってる本人は案外楽しんでいたりするのである。 それに、毎回投票の度にもらう感想の一言一言が、ボンにとって何よりの励みになっちょるのでし♪ 他の絵もそうだが、モノを創り出すっちゅうのは自分の中にあるものを形にしようとしちょるわけで、だからかどうか分からんが、時々ボンは作品を作ってる最中自分を削っているような感覚になる。 ちびギャラは特に、その感覚が強い。 ぶっちゃけた話、100枚達成する毎に、なんだか心がゲッソリしちゃうのである。 「そりゃアンタ、ネタ切れだよ」と言われればそうなのかもしれないが、なんちゅうか今の自分の中にある創造力の限界とまでは言わないが有限性みたいなのがチラチラ見えるようで恐くなる。 でもそれはきっと誰だってそうなんだと思う。 食べなきゃ生きていけないのと同じ。 たくさん感じてたくさん考えて、色んな人に感想もらって言葉を交わして、ちびギャラは描けるのでありんす。 それはなんだかいい気分。 ちびギャラの自慢は、一人じゃ描けないっていうことかもしれないなぁ(^▽^/ 投票結果が楽しみである♪ |
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| 99/12/23 「絵日記」 |
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| 99/12/18 「1周年なのね♪」の巻 |
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当サイト「Bonboya-zyu Gallery」を開設して、ちょうど1年経ってしまった。 ぬぅ、えらいことである。 去年の今ごろ、よく分からんなりにHPをせっせと作っていたかと思うと「なんでまたこんな年末の忙しい時期に;」という気もしてくるが(笑)、きっと暇だったんだろう; でもそのおかげでこの1年でボンはとっても沢山のものを手に入れた。 イラストレーターにも一応(笑)なってお仕事もいくつかさせていただいたし、日経ネットナビやMOEにも載っけてもらった♪ そしてなにより友達がホント沢山できた(^▽^/ んもう、「ボクチン友達100人できました♪」と言ってもウソではないような気がする。 やっぱりこれが一番嬉しい♪ 友達欲しくて作ったHPではないけれど、この1年間でのたくさんの出会いはボンの大事な財産だと思う。 沢山の人達に力をもらってボンは絵を描いてきた。 情けない話だが、多分一人じゃここまで描いてこれなかったと思う。 へっぽこイラストもこんなに続いてない(笑)絶対! 動物イラストも随分増えた。 でも一番最初に描いた「無題」を見てるとボンの描きたいものは変わってないな〜と思う。 へっぽこも同じ。 不器用でもカッコ悪くても、一生懸命生きてるものを描いてたい。 忘れちゃいけないものを忘れないように。 というわけで、めでたく1周年を迎えたBonboya-zyu Galleryですが、これからも変わらずいってみようではないの♪という感じです(^^) みなさん、どうぞよろしうなりよ♪ |
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| 99/12/03 「12月3日、実は焦ってました(笑)」の巻 |
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アンパンマンは君っさ〜♪ というわけでMOE年間グランプリで佳作をもらった。 「MOE 1月号」に載せてもらったが、何が嬉しいって26歳なのに25歳と紹介されてたのが嬉しい。いや違う; それにしても、11月の頭に白泉社から電話連絡をもらってから今日までの1ヶ月は長かった;;待ち遠しくてではない。 今だから言ってしまうが、連絡もらった直後にうかれてHPで「12月3日にいいことがありんす」などとカキコしてしまったが、その後何も連絡がなかったので(授賞式の連絡とか)ホントに受賞したのか不安でしかたなかったのである。 んもうなんちゅうか「これってもしかしてドッキリなのか?ボンはゲーノージンではないがドッキリなのではないのか?」などと思ったり思わなかったりで大変だったのである; 「んもうみんなに言っちゃったぞコノヤロ!」と毎日眠れぬ夜を過ごしはしなかったが、それはもう不安であったのである。 そして11月も終わりになると「言わなきゃよかった言わなきゃよかったよぅ(T−T/」と、すでにボンの頭の中では「ウソ派優勢!佳作受賞はウソです派が優勢です!殿!」という有り様になっていたのである。 (掲示板やメールで「もうすぐ3日ですね♪」と聞かれる度に実は焦っていたのである^^;かなり怪しげなレスをしてるはず;;) そしてそのまま「ウソ派」が大勢を占める中迎えた12月、ボンは「んもうコリはいかん!見本誌とやらも届かんし、どうもダメっぽいではないの;ぬう、こうなったら『12月3は123の日でした♪おめでとお♪』ということにしよう、そうしよう。あんまりボンと関係ないが、ていうか全然関係ないがそれしか無い!ただ掲示板に『今まで生きてきた中で124番目だかなんだかに嬉しいこと』とか書いてしまったのでこれだと、ボンという奴は『26年間も生きてきて123の並んだ日が124番目に嬉しい日付マニア』であると勘違いされてしまうがそれもいたしかたなしでござる!」と悲壮かつマヌケな決意をしていたりしたのである。 というわけで今回の受賞は嬉しいというより、ほっとしたという気持ちが大変強いのである。 あ〜良かった(T▽T/ |
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| 99/11/17 「甘っちょろいとは何事かぁ(怒)!!」の巻 |
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言葉に癒されるのがブームなのだそうだ。 それ自体は別にボンはなんとも思わない。ていうか自分が似てるようなことやってるからかもしれないけどあんまりそういうブームには興味がない。 賛成もしないが反対もしない、ボクチン中立♪といった感じである。 しかし、こないだ、それに反対する人の意見をちょっと聞いてると、 「あんなありふれた言葉に頼らないといけないほど自分は弱くない」 「あんな言葉に癒されたがるのは甘っちょろい」と言っていた。 ぬう、それはなんか違うと思う。 食べなきゃ生きていけないのとおんなじように、誰だってみんな何かに助けられて生きている。何から力をもらうかなんてその人の自由じゃないだろうか。 大事なのは、そうした何かを得て再び歩き出せるかどうかだと思う。 栄養ドリンク飲んで頑張ってるサラリーマンは強くて、言葉に励まされて頑張れるようになる人は甘っちょろいなんて言うのはおかしな話だ。 「あんなありふれた言葉に感動なんかできない」っていうけど、ありふれてるかどうかはその人が決めることだし、そもそもありふれてるから言葉って通じるんじゃないのか? 言葉って、言ってしまえばしょせんコミュニケーションの手段でしかなくて、言葉そのものに価値なんかない。 誤解を恐れず言うなら言葉を発する人にも価値はない。 その言葉を受け取れる人にこそ価値はあるんだとボンは思う。 「ちびギャラ」やってるとホントそれがよく分かる。 ある言葉を優しいと感じられる人は自分の中にそういう優しさを持ってるからだし、励まされたって言ってくれる人はそうやって立ち上がれるだけの力をちゃんと持っている。 人間って自分の経験の中でしか考えることはできないし感じることもできない。 自分の中に無いものには感動できないのである。 言葉を発する側の人間がいくら気持ちを込めて本気で語っても、受け取る人間にそれを受け取れるだけの力が無ければ伝わらない。 「頑張れ」っていう言葉は辛い思いをしてる人を更に追いつめるって言う人もいるけど、ほんとに弱ってる人にはなんだって毒になる。 だから、言葉で癒される人が弱いなんてボンはちいとも思わないし、甘っちょろいなんて言う人間には「あんたの考え方の方がよっぽど甘っちょろいよ」と言いたくなる。 ぬう、ちょっとお怒りモードになってしまった; とにかく、ブームはどうでもいいが、言葉から力を得ることができる人間を弱いだの甘っちょろいだの言うのはおかしい。 一本の栄養ドリンクに元気をもらって頑張れる人と、一つの言葉に癒されてまた夢に向かって歩き出せる人の、どっちが強くてどっちが弱いかなんてくだらないことこの上ない。 どっちも強いのだ♪ |